永遠のfermata《フェルマータ》?
終わりのないgeneral pause《ゼネラルパウゼ》?
なんと例えればいいのだろう。
絶望的なまでに表記が続くtacet《タシェット》?
fermata《フェルマータ》はその後の歓声を、あるいは歌うsolo《ソロ》を、はたまたロングトーンの中の音楽と情熱を感じさせる。
general pause《ゼネラルパウゼ》は奏者全員でもって次の一音へ魂を込めるための無音状態だと思う。
tacet《タシェット》のとき、誰かが曲を進めている。それを私は聴いて、 の波に乗っている。
ああ、しかし、どうして私はいつまでも休みで、それなのに、adlib《アドリヴ》で吹き続けるおまえは、何なんだ。なぜ。なぜ。なぜ。
つまり、そう、私にはそもそも――。
S.S.Part.「音のない幻想曲・独奏」
絶望的なまでに表記が続くtacet《タシェット》。
この世界で、adlib《アドリヴ》で吹き続けるおまえは、何なんだ。
私の古い友人が、心の片隅を過ぎった。
彼女も、フルート吹きだった。
私のピアノと、彼女のフルートと、何度一緒に をしただろう。
思い出すまい。
もう思い出すまい。
消えろ。私の中から、消えてしまえ。
*
不協和音。
フルート吹きの罪人である青年は、それを用いて反撃してきた。
武器としての機能も備えた楽器は、それを”奏でた”。
以前は、それも の一部だった。知っていてそれを攻撃に使ったのか?笑えない。不協和音、それは だ。傷つけるためのものでは断じてなかった。
あいつは上手に、”気持ちの悪い”不協和音を奏でた。
気持ちの悪い音を”つくる”には、何が気持ちの悪い音なのか知っておかなければならない。根音、第3音、第5音、そして第7音…どれをぴったり、どれを低めに、どれを高めに、どれくらい、音量をどうして、ぶつけるのか…。そしてそれを”攻撃”に用いるならば、不協和音をあえて解決させずにぶつける。解決方法を知っているから、解決させないことができる。
つまりあのフルート吹きは、それが出来るのだ。
ああ、思い出さなくていい。 をしていた頃のことなんて。
*
軍に入る前のこと。私にはフルート吹きの友人がいた。
とても有名な交響曲を、彼女と一緒に聴きに行ったことがある。彼女と別れる少し前のことだ。
広い舞台。
コーラスが入るのは最終楽章だけだ。その最後のために、合唱隊が居る。一〜三楽章の楽譜には、tacet《タシェット》と書かれているのだろう。
輝かしい、喜びに満ちた最終楽章のコーラス。
一楽章、二楽章、三楽章と、最終楽章の喜びを予感させる、メロディーの欠片が奏でられている。
昇りきりたい音、だが、あと少しのところで下降する。ああ、もどかしく、心をくすぐる。
答えにたどり着きそうでたどり着かない。喜びを見つけそうで見つけない。長い道のりの果て、たどり着く最終楽章。その長い道のりに一切の無駄はなかった。
ふたりして感動しすぎて、言葉もなく、充実感を体からにじませて、ホールを後にした。
胸の内で熱がくすぶっていた。吐き出さなければ、爆発しそうだ。
ピアノに向かって、物語を書くように楽譜を書いた。
魂を込めるこの曲、このフレーズ、この一音は、誰に、どのように、伝わるだろうか。
全てを、込めるのだ。あの感動の全て、自分の全て。私はそうして思い描き、弾き、書く。
彼女も同じ。私が部屋から出れば、よくフルートの音が聴こえた。
熱い熱い、内側に秘めたそれを、全力で音に込めて。熱を、秘めた力を感じる吹き方を、真似て自分のものにしようとしている。それがよく分かった。きっと、別れたあと、彼女はそれをものにしたのだろう。
彼女と別れるのは寂しかった。
手紙を書こう。そこに、楽譜を同封しよう。
彼女なら、この楽譜に込めたものを感じ取り、そこに自らのことを重ね、込めて、彼女なりの曲として、 として、完成させてくれるだろう。
でも結局、楽譜は未完成のまま、手紙に添えることは叶わなかった。
夢の中ではまだ、あの楽譜の続きが鳴っている…。
*
私にはまだ、ピアノの音が聴こえる。鍵盤を弾く指先の感覚を、覚えている。
きっとこの楽章はtacet《タシェット》。長い長い休み。
だってまだこの世界には、誰かが と共にあるのだから。
そう思っているのに”――ならば 私は死を選ぶ”などと決断する奏者がいるはずもない。譜面をめくって見える次の楽章がまたtacet《タシェット》であるとしても、たった一音、どこかに自分の音があるかもしれないのだ。その一音のために、奏者は舞台に登る。
でもそんなのは幻想だった。
この世界で、私の愛したものを、捨てなくてすむものたち。それだけでも憎まれるほど幸せなことと知れ。
そんなこと言われるまでもないのだろう…分かっている。
ただ…。
ただ
暗くて深くて空虚でどろりとした闇が、私の中にある。
奪い取り、捨てさせて、殺すたびに、それはより濃く、こびりつく。
*
永遠のfermata《フェルマータ》。
終わりのないgeneral pause《ゼネラルパウゼ》。
絶望的なまでに表記が続くtacet《タシェット》 。
次の一音を望まなくて済んだなら、奏者を憎むこともなかった。
adlib《アドリヴ》で吹き続ける者を見つけて、そして悟る。
そもそも――私には音が、音楽が、与えられない。
ピアノはない。楽譜もない。当然、終止符もない。
全ての音楽は、小節の途中で無残に千切り壊され燃やされた。
はずだったのに
Fl.Part.「フルート吹きと世界の葬送曲」
永遠のfermata《フェルマータ》。
この世界で、adlib《アドリヴ》で吹き続ける。
私の古い友人の話をしよう。
音楽が禁じられたあの時代、私はかの友人がどんな境遇にあるか知らないまま、遠い地で音楽にしがみついていた。
きっと彼女もそうしただろうと思っていた。音楽を手放さないであろうと。
しかし彼女は、軍に入ったそうだ。音楽にしがみついた者を取り締まる立場だ。
そしてそのまま殉職したと聞いた。
耳を疑った。
*
とても有名な交響曲を、彼女と一緒に聴きに行ったことがある。彼女と別れる少し前のことだ。
広い舞台。
コーラスが入るのは最終楽章だけだ。その最後のために、合唱隊が居る。一〜三楽章の楽譜には、tacet《タシェット》と書かれているのだろうか。
輝かしい、喜びに満ちた最終楽章のコーラス。
一楽章、二楽章、三楽章と、最終楽章の喜びを予感させる、メロディーの欠片が奏でられている。
答えにたどり着きそうでたどり着かない。喜びを見つけそうで見つけない。暗闇の中でぐるぐると悩んだ末に迎えるような最終楽章。
光に、太陽のような頼もしく暖かく神々しい光に、満たされるような、そんな感動をもって、私はいつの間にか涙していた。
彼女と一緒に観に行った演奏会の思い出だ。
ふたりして感動しすぎて、言葉もなく、充実感を体からにじませて、ホールを後にした。
作曲もしていた彼女は、その演奏会から多大なインスピレーションを得たようだ。熱心にピアノに向かっていた。
彼女のピアノの音は、真面目だが、熱いものがあった。音楽が好きなのだと伝わってきて、微笑みたくなる音がする。
私も同じ。ピアノは出来ないが、耳に残るあのメロディーをフルートで何度もなぞったものだ。いつか奏者として参加したいものだ、と、今でも機会を狙っている。
あのメロディーを、あの熱を、秘めた力を感じる吹き方を、なぞる。自分のものにする。そして、他の曲で自分の吹き方として活かすのだ。
魂を込めるこの曲、このフレーズ、この一音は、誰に、どのように、伝わるだろうか。
自分を音で表現する。伝わるように。
全てを、込めるのだ。あの感動の全て、自分の全て。
私はそうして吹く。彼女もそうして弾き、作曲しただろう。
その後、彼女とは別れることとなってしまった。寂しかった。音楽の仲間は、親友というより”戦友”というほうが、相応しいかも知れない。形のない根拠から結ばれた信頼があった。
遠く離れた地にいても、演奏旅行なんかで会うかも知れないし、出会う演奏家から噂を聞くだろう。手紙も書こう。もしかしたら楽譜を送ってくれるだろうか。
そんなことを思っていたが、叶わなくなってしまった。
音楽は禁じられた。
音楽を禁止するとは、音楽家に死ねと言っているようなものだと思う。
だが、本当に死んでたまるか。音楽が本当に失われることは、私が生きている限り、絶対にありえない。
私は別人になった。楽器は別のケースに隠した。フルートは我が生涯の伴侶。取り上げられてたまるか。
私はまだ良かった。フルートなら隠しやすい。チューバやコントラバスの奏者は、気の毒だ。あれを隠すのは困難極まりないだろう…。
ああ、彼女のピアノも、取り上げられてしまったかもしれない――まさか取り上げる立場になっているとは、当時、露ほども思っていなかった。
*
私にはまだ、フルートの音が聴こえる。銀の笛から指に伝わる振動を、覚えている。
きっとこの楽章はtacet《タシェット》。長い長い休み。
だってまだこの世界には、誰かが音楽と共にあるのだから。
そう思っているのに”――ならば 私は死を選ぶ”などと決断する奏者がいるはずもない。譜面をめくって見える次の楽章がまたtacet《タシェット》であるとしても、たった一音、どこかに自分の音があるかもしれないのだ。その一音のために、奏者は舞台に登る。
そしてtacet《タシェット》の後の最終楽章。密かに流れ続けた音楽を、盛大に鳴らす。音楽を奪ったものから解放された最終楽章は全員参加だ。魂の込もるgeneral pause《ゼネラルパウゼ》とtutti《トゥッティ》。coda《コーダ》を駆け抜けて、興奮を秘めたfermata《フェルマータ》の後、時代に終止符が打たれる。音は世界に余韻を残す。
その喜びの中で、過ぎた時代と、人々に、思いを馳せる。
まずは、彼女に、葬送曲を送ろう。
新たな時代の一曲目が悲しい音で始まるのは、音楽を愛しているが故のことなのだ。
「そう簡単に、音楽を嫌いになんか、なれるものか」
叫ぼう。嘆こう。存分に。
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あの、本当に、言葉になりません…。
うちの晶梨の事を気に入って下さり、彼女のお誕生日を覚えていてくださり、
更にこんなに切なくて哀しくて素敵な作品を賜り……。
在葉さん、本当にありがとうございます!!!
頂き物なんですけど、こちらを呼んでいただいてから本編5話をご覧いただけると
臨場感が凄い事になりそうなので全力で推しますっ(`・ω・)
既に頂いた際に在葉さんへは長々と恋文を送り付け、自ブログでも語らせていただきましたが…
言い切れぬ感謝でいっぱいです!!
在葉さん!!本当に、本当にありがとうございました!!
存葉様の素敵サイトはこちら→あっちとこっちの間